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こんにちは!
心と体をととのえるサロン
Breath&Blessの
服部きりこです。
 
今でこそ、
身体の声を聞きましょう、
アイラブミーを提唱してますが、
ここに至るまでには、
いろんなことがありました。
これまでの道のりを
振り返ってみましたので、
よろしければ
お付き合いください。

幼いころのわたし

幼いころのわたし

生まれたのは1963年4月16日。

北海道の苫小牧市で

3人姉兄の末っ子として生まれました。

 

父の転勤先で生まれ、

3歳でまた東京へ引っ越ししたので、

北海道生まれでも、

北海道の記憶はほとんどなし。

 

本来、末っ子なら、

さぞかし可愛い存在だったはず。

 

ですが、厳しい両親で、

姉や兄をよく口うるさく叱ってて、

それが怖くて、私はそうなるまいと

とても要領の良い子に育ちました。

 

親が喜ぶであろうことをしていたし、

周りの人の顔色をうかがい、

振る舞うことを覚え、

小さいなりの処世術を

身につけてました。

 

3歳のとき、

何をしたのか今となっては

覚えてないのですが、

母が「もう、ママは出て行きます!!」と

私たち姉兄3人に向かって

すごい剣幕で怒ってたんです。

 

幼かったわたしは怖くて、

「そんなの、いやだ!!!

ちゃんといい子にするから、

出て行かないで!!

お願いだから。。」って、

必死に泣きながら叫んでいました。

人見知りで人が苦手。

自分の心の安全のために、

誰にも心の内側を話さなかったし、

自分の人生は、

自分の希望を通すことより

親が決めたことに従う、

人生はそういうもんだって、

思い込んでました。

 

親にとっては、

育てやすい子だったなと思います。

 

外見的には優等生、

でも、心は小心者。

そんな人格が作られていきました。

 

小学生の頃から私は、

いつも緊張していて、

そのせいか、

ものすごい手汗をかくように

なっていました。

 

ハンカチが濡れてしまう、

テストの答案用紙は破れてしまう、

指先から滴る汗。

 

常に心はソワソワ、

ざわざわして

安心など感じられていませんでした。

誰といても、どこにいても、

自分だけが取り残された感じ。

 

なんでわたし生きてるんだろう。

人はどうせ死ぬのに

何のために生きるんだろう。

いてもいなくても良くない?

 

中学生のころから、

気がつくとそんなこと考えていました。

母の病気

母の病気

高校生になった頃、

母が病気になりました。

きっかけは、

歯医者さんの薬を飲んだら、発疹が出た。

 

たったそれだけのことで、

病院に行ったら、

「肝臓の値が高く、慢性肝炎です。」

 

母は薬を1種類飲み始めました。

薬は、よく効いたんです。

 

肝臓の数値がよくなり、

ほっとした頃、

皮膚に赤い肉腫のようなものが

できはじめ、

また病院に行くと、

「サルコイドーシスです」

と言われ、

 

薬が増えました。

原因不明の難病で、

ステロイド薬を飲み始めました。

皮膚疾患が

どう変化していったかは、

わたしの記憶にはないのですが、

薬が増えたことで、

今度は、血糖値が高くなり、

コレステロールが高くなり、

血圧が高くなり、、、

病院に行くスケジュールが

増えるにつれて、

薬もますます増えていき、

その分類はわたしには

わからないほどでした。

 

「また増えたの?」

 

病院は、

病気を治すところだと

思ってたけど、

どうやら違うみたい。

症状を薬でコントロールして、

人を検査数値で測るところ。

自分も数十年後の未来に対して

不安も生まれました。

 

一人の肉体の中で、

モグラ叩きのようなことが

起こるのは、何故なんだろう?

 

わたしの中に疑問が湧いてきて、

それが、後にわたしを突き動かす

ことにもなったのです。

銀行員のきりこ、10年!

黄色 ちょうちょう
銀行員 服部きりこ

高校から短大へ、

社会人として銀行に10年勤め、

人並みに結婚もしました。

 

人生の大きな選択。

進学・就職・結婚。

本当にやりたかったこと

というよりも、

無難・安定・給料・親の安心

安易な決め方だったと思います。

 

好きな英語を学び、

生かしたい気持ちも持ちつつ、

自分が幸せであることより、

親をガッカリさせたくない、

悲しませたくない。

 

不幸ではなかったけれど、

自分の心の底からの幸せを

どこか諦めてました。

銀行には10年勤めました。

丸の内OLとして、

融資・外国為替の部署で働き、

バブル絶頂から崩壊まで、

いいときも、そうでないときも経験し、

会社の歯車のひとつを担ってるのも

ちょっと誇らしげだったのです。

出産も自然に、育児も自然に。

出産 育児 自然派

31歳の時に結婚し、

妊娠がわかった時、

「こんな未熟なわたしが親になるの?」

不思議な気持ち。

 

どこでお産をしようか?

妊婦健診に行った時、

「お産、何日にしますか?」

「上の子が幼稚園なので、

〇〇日にお願いします。」

どこかのブースから

聞こえてきた会話。

 

土日は先生がいらっしゃらないので、

平日のお産が多いと

聞いたことがあったけど、

お産は、人工的にするものなの?

いろんな事情を抱えているかたが

いると思うのですが、

自然界にいる動物たちって、

自分でお産するよね。

お産って、

はるか昔から縄文時代も、

江戸時代も、

ヨーロッパでも南米でも

どこででも行われる

自然の営みでもあり、

人類の歴史だなぁと思うんです。

 

人間だけが特別にしちゃってるけど、

人間も実は自然でいい、自然がいい。

 

産むお産ではなく、

産まれるお産をしたい。

赤ちゃんの産まれるペースに、

私の身体を預けたい。

新しい家族を、家族で迎えたい。

 

助産院でのお産を決めました。

これまで

親が決めたことに従ってきた私が、

この時ばかりは、

自分の希望を通したのです。

 

人工的なものより、

より自然でありたい。

身体の奥の方から、

このことが湧いてきました。

どんなふうにお産が進むのか、

どんな気持ちになるんだろう、

 

最も人間が自然になれる時を

大切に過ごしたかったのです。

実際、一人目はとても時間がかかり

大変でした。

陣痛の間には、院内の散歩や

階段の上り下りの運動をしたり、

部屋の明かりを

暗めにしてもらう方が安心できて、

 

赤ちゃんの頭を

自分の手で触らせてもらったり、

臍の緒を切らせてもらったり、

いのちの誕生は、

神秘的で感動的でもあり、

日常生活の延長線に

あるんだなとも思いました。

 

赤ちゃんのペースと

わたしの安心するスペースを

大切にしたお産は、

本当に大満足でした。

母乳で育てたい、

はだか育児で育てたい、

できるだけ自然に育てたい。

 

出産も自然に

育児も自然に。

 

たった30年くらいしか生きていない

大人になりきれてない自分が、

一人の人間の人生を背負うよりも

こどもが本来持ってる自然の力を

信じてみたい、

こどもの成長を

邪魔しない育児をしたい。

 

ノー紙おむつ

ノー粉ミルク

野生動物だったら、、、

自然界だったら、、、想像して、

人工的なものは

選択肢から外していきました。

1歳になると、親も子供も

泣く泣くバイバイする断乳も、

こどもが飲まなくなるまで、

おっぱいを飲ませてみました。

実際、3歳まで飲んでました。

母乳が出てたかどうかよりも、

こどもにとっての安心感

だったんじゃないかと思うんです。

身体の栄養よりも、心の栄養

ある日、

「お腹の赤ちゃんに、

おっぱいをあげるね」

上手に自然と卒乳していったのです。

身体は小さくても、

こどもは生き方を知ってるんだ。

感動に心が震えました。

自然がいい。。

親のわたしは、

寄り添うだけにしよう。

オステオパシーとの出会い

オステオパシー

わたしが40歳の時、

母は亡くなりました。

 

その頃、娘たち二人の子育てて

身体がとても疲れてもいました。

肉体的な疲労と

精神的な疲労が重なって、

わたし自身が

体調を崩していました。

首から腕にかけての

痛みと痺れで、

寝ても覚めても

どうにも痛みが治らなくて。

でも、

日頃の疲れだろうと思って、

近所にマッサージを

受けにいったりしてたのですが、

楽になるどころか、

痛みが増す一方。

 

マッサージでは

良くならないと思い、

インターネットで、

どこか治療してもらえるところを

探しました。

 

そこで、

頭蓋仙骨療法とか、

根本原因というキーワードに

ピンときて、

カイロプラクティックに通いました。

 

でも、思うような効果が出なくて、

また探し始めたときに、

オステオパシーの名前を

初めてみたのです。

 

やはり、根本原因とか、

頭蓋仙骨療法とか、

気になるキーワードがあったのと、

わたし自身も

根本原因を知りたかったし、

大元の原因にアプローチしないと、

よくならないと思い、

すぐに施術の予約をしました。

 

初めての治療で、

どんなことをするのかもわからず、

飛び込んだ。

それが、

ものすごく感動したんです。

あんなに酷かった痛みが、

3回の治療で

良くなってしまったのです。

すごい〜〜!!!

 

オステオパシーって

なんだかわかんないけど。。

すごい〜〜〜!!

 

その施術してくださった先生が、

初めての施術で、

「君の夢は何なんだ?」と

いきなり聞いてきたんです。

「は?」

大人のわたしの夢??

夢といえば、、、

野球の選手、お花屋さんとか

こどもが見るものだと思ってて、

大人のわたしが夢??

すごく不思議な気持ちでした。

 

で、その時に、

「先生、わたし、これを学んでみたいです」と何かに導かれるように、

答えていました。

 

オステオパシーについて

何も知らないんだけど、

身体の内側の緩んで、

温かくなっていく感覚が不思議で、

「これ知りたい!」と思ったのです。

 

その先生とのご縁があって、

オステオパシーの学校に4年間通い、

アメリカのオステオパシー大学に

解剖研修にも行き、

専業主婦だったわたしが、

今のBreath & Blessを

開業するに至りました。

Breath&Bless

Breath & Blessの誕生

Breath&Bless

(ブレスアンドブレス)が、

わたしのサロン名です。

学校を卒業してから、

2008年に開業しました。

わたしが、

オステオパシーで身体が回復し、

それがきっかけで

人生が180度変わっていったように、

 

いのちの息吹(Breath)が

芽吹いていき、

そこから祝福(Bless)が

広がっていきますように。

かぎりあるいのちが躍動して、

人生が輝いていくって、

最高に幸せですよね。

 

そんな願いを込めて。

キネシオロジー

​キネシオロジーとの出会い

施術して良くなっていく人もいれば、

また痛みをぶり返す人もいて、

 

開業して数年経った頃に、

身体が良くなるのには、

 

構造的なことだけでなく、

他にも要因があるなと

思い始めました。

 

精神的なストレスや心の問題、

食事、環境、人間関係などは、

 

身体に与える影響も大ですし、

切っても切れない関係です。

 

身体をいろんな角度から

診たくなり、

分子栄養学、温熱療法、

キネシオロジー、、、

別のアプローチ方法を

学びました。

 

中でも、キネシオロジーは、

筋肉の反応から

潜在意識にアプローチするので、

 

肉体と心を繋ぐ架け橋として、

ストレスや心理的な問題の解放に

とても役に立ってます。

キネシオロジーで

わたし自身もずいぶん解放して、

楽に生きられるように

なってきました。

初めてキネシオロジーの

セッションを受けた時、

手汗→恥ずかしい、

自信がない、の

感情があり、

筋肉テストをしてもらうと、

幼稚園でのある出来事が

原因となっていたことを

引き出してくれました。

その記憶は、

幼稚園の卒園式でのできごと。

ステージの上で

こけてしまった瞬間、

会場にドッと笑いが起こりました。

恥ずかしい〜!!

消えてしまいたい!!

わたしの小さな心が

傷ついていたんです。

すっかり忘れてたけど、

苦い経験でした。

 

キネシオロジーで調整して、

この感情を解放してもらうと、

その時の状況が、

恥ずかしいのでもなく、

単なる人生の一コマになり、

幼い頃の可愛らしい思い出に

変わりました。

 

へ〜!!

捉え方が、全く変わったのです。

 

キネシオロジーは、

人生を変えるんだ!と

確信を持ったのです。

タッチフォーヘルス TFH

タッチフォーヘルスを
教えるわけ

セッションでわたしがお会いするのは、

月に1度か2度の程度だけど、

 

一番近くで、

じぶんの言葉を聴き、

人生を共に過ごし

さまざまな体験してるのは、

ここにいるじぶん自身。

 

身体と心のケアを

じぶんでできたら、

すぐにプロに頼らなくても

すむこともたくさんあります。

 

じぶんのことを

置き去りにしないで、

その時にケアできるって

手軽で便利でいいですよね。

 

何よりもじぶんがホッとして、

楽になります。

 

身体や心のことは

難しいからと言って、

じぶんのことがわからないまま、

他人に預けてしまうのは、

危険だと思うのです。

 

じぶんの今の状態は、

これまでのじぶんが

創ってきました。

 

身体の痛みも、心の痛みも、

何か気づいてほしいことが

あるからで、

「ねぇ、聴いて」の

お知らせの合図。

 

じぶんの心を紐どきながら、

本当の本当の気持ちや願いと繋がる。

一番のよき理解者になるって

とても素敵なことですね。

 

いつか終わりを告げる瞬間に、

「わたしは、わたしを充分に

生きたんだ」って、胸を張って、

清々しい気持ちでいたい。

 

 

わたし自身も

じぶんの可能性を広げたり、

成長するのにタッチフォーヘルスを

活用していますし、

まだまだじぶんの未知の部分も

いっぱいあります。

 

じぶんの1番の理解者になり、

じぶんの1番のファンになる。

 

じわじわとじぶんのことがわかっていく。

それが楽しくて、

タッチフォーヘルスの

インストラクターをしています。

I LOVE ME

I LOVE ME プロジェクト!

I LOVE ME.

 

2020年、コロナが流行り出して、

自粛して不安な気持ちだった時に、

ふと思いつきました。

 

あのときは、

今までに経験したことがない

得体の知れない

恐怖が押し寄せてきて、

怖かったです。

 

その時

「誰も一人ぼっちに

したくない!!」

 

何かやらなきゃ!

見えない力に

背中を押された感じがして

 

会えないけど、

私たちは繋がっているんだ!!

 

それをみんなで感じたくて、

平日の朝、

毎日6時20分からFacebookで

きりこの朝」のライブ配信を

2ヶ月間しました。

 

じぶんの身体に触れる、

じぶんの経絡を流す、

14筋体操を音楽に合わせてする、

今日1日をどんな日にするか

じぶんで決める。

 

そんな内容をやってました。

 

こんな朝早いのに、

50人も世界の各地から

集まってくれた日もあり、

胸が熱くなりました。

 

その時に使った曲が

あいみょんの「マリーゴールド」

 

歌詞の

「アイラブミーの

言葉では足りなくて、、、」

のフレーズに、

 

アイラブミーの

言葉では足りないって

勝手に思ったのです。

 

私たちがやってることは、

アイラブミーだよねって。

 

じぶんを愛でる。

 

どんなじぶんでも、いいよ、

ダメなじぶんなんて

ないんだから。

 

そんな小さな活動から、

始まりました。

 

あれから何年か経って、

それでもやっぱり、

人生は、

アイラブミーなんです。

 

じぶんを愛することが、

誰かを愛することに

繋がっていく。

 

誰かにとっての

正しさで生きるよりも、

自分にとっての悦びを

大切にしたい。

 

やりたかったこと、

これから実現したいこと、

行ってみたいところ、

会いたい人、

 

人生は有限ですが、

無限の奥行きと

広がりを秘めています。

 

I LOVE MEプロジェクトは、

愛しきじぶんを煌めかせてく。

 

好き、好き、好き。

 

あなたにはそれができるのだし、

いのちは、

それを待ち望んでいるのです。

 

あなたのいのちが、

輝きを放ちますよう。

経歴・学び・資格

経歴 資格

・2007年

 ジャパン・カレッジ・オブ・

 オステオパシー卒業

 MRO(J)取得

・タッチフォーヘルス

 インストラクター

・タッチフォーヘルス

 メタファーインストラクター

・カフェキネシインストラクター、

 ピーチタッチインストラクター

 (セルフケア)

・インテグレートヒーリング

 プラクティショナー

・三井温熱療法師 

・パワーストーンヒーリング 

・タロットカード初級、中級

・脳のキネシオロジー

 Simply The Brain 修了

・アプライドフィジオロジー

 アガペ1修了

 
 
 
オノマトペ
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